efplan -1級建築士事務所-
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消えたヒカキン

   

   

ずいぶん前から思っていたこと、気になっていたことなんだけど、どういう「オチ」にしたらいいかわからないでいたことなので、温めていた、というか御蔵入りくさかった。でも、今日そこを少しさわる記事が新聞に出てたので乗っかってみます。

小中学校の卒業式の時、親に「感謝の手紙」を書かせること、それを一律に押し付けるのは「暴力に等しい」のではという記事。いろんな家庭があり、親がいる。本当に毒親、というところだって。
ほんの一部の方への「配慮」という形で、全てをゼロにする、という最近の動向は基本的に私は好きではない。会長としての「祝辞」でも、私はその親や先生に対しての感謝、のことをやんわり以上の言い方で訴えました。その時だっていろいろと考えました。ある家庭、いや子供から見たら、それはお前んちだけの話だろ、とツッコミもあり得たから。

ううん、気になっていたことはそこじゃないんです(でも、またブーメランで帰ってくる、はず(笑)。
でも、卒業式のこと。

うちの学校、今年から名前呼ばれて壇上に上がり、一人一人が大きな声で6年間で得たものと、それに則した将来つきたい仕事、夢を語ってくれる、という流れになって。
昨年までは壇上の横のスクリーンに将来の夢がただ「文字」で見えるだけでした。

広い体育館、マイクもなしで結構な長い文章を、もちろんカンペなしで、発表してくれる。きっと大きな声だって出すのが苦手な子もいたはずなのに、一人として聞き取れない子もいなく、本当に感動的な式でした。

でも、途中であることに気づきました。
昨年は4,5人はいた将来就きたい仕事 ユーチューバー、という子がいないということ。

それが、何か?と思われるかな。
私も常識に固まった昭和のおじさんだからね。昨年、それを見た時に、心の底では眉をひそめた、という瞬間もないわけではないし、今年はいなくてよかったですね、とお隣の町の教育委員さんとにこやかに談笑してもいいんだけど。
でも、私はこうも思っちゃったんです。
この発表の仕方がそういう自由な子供の想いも消したのでは?と。
こういう形での発表になるとどうしても親が、いや大人が喜ぶような内容になっていく。
正直、ほとんどの子が「この6年間で助けあいの心を学び、将来は看護師に」とかその手の流れです。(言っておくけどディスってないですからね)

ユーチューバー、だって悪くない。多様性を認めるってそういうことでもあるでしょ。
「この6年間で面白いことをして、笑ってくれることでみんなが仲良くできることを学びました。なのでユーチューバーになって世界中の人を笑顔にして、平和な世界にしたいと思います!」
いいじゃん、一点の曇りもない。

本当にそんな子がいたら、さっきも言ったけど昭和のおじさんだからね、ザワザワとしたとは思う。でも、場の雰囲気を忖度して、こういう感じで言っとけばいいんでしょ、よりいい。

結局ブーメラン返ってきてないし、やっぱりオチがない(笑)

いや、やっぱり返ってきてる。このモヤモヤは、この押し付け感。押し付けたつもりはなくても、子供だってわかってる。
その感動を呼ぶやり方は、誰のため? 親のため? 心に残る卒業式にするため?
こういうのは行き過ぎると本質を見失う。

親や先生への感謝だって、押し付けられて、という話だと悲しい、とも思えるし、
こういう機会になかなか言えないことを伝える、ということだって悪いことではない。
正解はいろいろと出てくる。
「道徳」の教科化のこと、ある一つの答えを正解になんてできない。
それも大人が喜ぶ答え、安心する答えを本当は思っていないのに、それが欲しいんでしょ?と書く子が「大変よい」に?

新潟の事件、見た目も悪くなく、無断欠勤もない男がさらりとあんなことをする。

大人の目が試されているんです。

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